西本町貴布禰神社へ行こう!

西本町貴布禰神社

こんにちは、気がついたら自力で自分の除霊をしていた人の、hisatoです。


さて本日は「西本町貴布禰神社へ行こう!」です。

先日「龍がお姿を現してくださる神社」と申していたのはこちらの貴布禰さんです(地元では「貴布禰さん」の愛称で親しまれています)。


(過去記事:「龍神様との絆」


宮司さんのお許しを得て、この度記事にさせて頂くことができました。沢山お世話もしてくださりました。

この場をお借りして御礼申しあげます。ありがとうございます。

それでは記してゆきます。

「西本町貴布禰神社」

所在地

兵庫県尼崎市西本町6-246

御祭神

高おかみ(雨かんむりに龍)神(たかおかみのかみ)
加茂別雷神(かものわけいかずちのかみ)
加茂御祖神(かものみおやのかみ)

御例祭

八月一日二日

御由緒

應神天皇の御代に尼崎の海人部の民の守護神として斎奉された伝統ある古大社です。

古来雨師風伯を主宰され、天変地異を防ぐ御神徳を持っています。

山城国の貴船神社に「反正帝の頃、尊い神様が瀬戸内から尼崎に上陸され、京都の貴布祢川の川上に鎮まられた」という伝承があり、この貴布禰神社の旧地長洲がこれに当たると考えられています。

江戸時代に長洲から今の場所に移り、尼崎藩の御祈願所として祈祷を斎行し、尼崎の惣氏神として永年人々の尊崇を受けてきました。

しかし、途中大洪水や火災によって史実の文書が散逸消失したために、由緒の探求は難しくなっています。

昭和二十年六月十五日には大東亜戦争の戦災に遭い、文政八年(1825年)に創建された壮麗なご社殿など大小二十四棟の建造物や古記録などを焼失しました。

現在のご社殿は昭和二十五年七月に阪神間戦災神社に先駆けて復興されたものです。

また平成七年(1995年)一月十七日に起きた阪神淡路大震災では大鳥居が倒壊、戦前よりある南門などが被害を受けました。

大鳥居は平成八年十二月に鋼板製にて再建、南門は瓦屋根の吹き替えなどの修復工事により元の姿を取り戻しました。

そして平成十四年にはご社殿銅屋根の葺き替えなどの改修が行われました。

昔も今も変わらず市民安泰・産業発展の守護神、工都尼崎の産土神として市民や会社工場から篤い崇敬を受けています

(出典:境内御由緒書)


境内社

白波稲荷神社

御祭神

倉稲魂神(うがのみたまのかみ)

例祭日

四月二十六日

御由緒

旧尼崎城内牡丹畑に御鎮座されていました。

御城主が常に城内と城下の安泰を祈念された御神徳あらたかな稲荷大神です。

明治の廃藩の際に松平遠江守忠興公より建物一切の御寄進を受けて、貴布禰神社境内に御鎮座されることになりました。

昭和初年に現在のご社殿が造営されて以来、尼崎市内安泰の守護神としていらっしゃいます。

(出典:境内御由緒書)

白龍大神

御祭神

白龍大神

御由緒

松本グループの社業の発展と安全を祈願して先代社長の松本太一郎氏が永年グループ各社の守護神として奉斎してきました。

平成四年に貴布禰神社の末社として遷座されました。

地域の発展と家内安全、商売繁盛を祈念された御神徳あらたかな龍神です。

(出典:境内御由緒書)

市庭戎神社

御祭神

蛭子神(蛭子の神)

例祭日

一月十日

御由緒

市庭町(現在の東本町三、四丁目一帯の旧称)の産土神です。

かつては貴布禰神社の例祭における陸渡御・船渡御の御旅所として、尼崎東部の祭りの拠点でした。

大正四年より貴布禰神社に遷座し、境内社となっています。

商売繁盛・社業繁栄をご祈念されています。

(出典:境内御由緒書)

愛敬三社

御祭神

可愛霊神(うまいのたまのかみ)
可美霊神(えのたまのかみ)
善哉霊神(えなにえのたまのかみ)

※本名は不明だそうです

例祭日

九月二十四日

御由緒

尼崎の旧藩主、櫻井家にご縁の深い神様です。

宝暦四年(1754年)に松平忠名の命により造営され、宝暦八年(1758年)に京都白川殿において御神号を授与しました。

鎮座以降、旧藩時代は藩主の御参拝や御代参を頂きました。

(出典:境内御由緒書)

相殿社

御祭神

素戔嗚大神(すさのおのおおかみ)
大比叡大神(おおびえのおおかみ)

御由緒

尼崎城内本丸で発掘された神仏不明の石像が山王神系統の二神(素戔嗚大神・大比叡大神)として城内に祀られていました。

しかし、天保・弘化年間に貴布禰神社境内に遷宮されました。

愛敬三社に次いで御城主の崇敬が篤かったことが「尼崎志」に記されています。

(出典:境内御由緒書)

榎社

御祭神

白巳(しろいへび)

御由緒

かつて中在家二丁目に鎮座していた濱恵比須神社の神殿に向かって右側に、枯れ木となった大きな榎の根株があり、そこには小さな祠が祀られていました。

地元住民が家族の病気平癒を祈願してお百度参りする姿が多く見られたそうです。

この榎は大東亜戦争で焼失しましたが、貴布禰神社の境内にあった榎の根元に「白い巳さん」がいたことから、ここにお社が建立されて榎社として祀られています。

(出典:境内御由緒書)

所感

貴布禰神社


いつもお世話になっている貴布禰さんです。いつも風が吹いてご挨拶してくださいます。

柏手を鳴らしてお祈りすると風がピタリと止み、一拝すると再び風が吹いてくださいます。まるでhisatoの話を聞いてくださっているかのよう。
今日もお導きくださりありがとうございます、しかお伝えしてませんけど;;。

参拝した日は、お空の雲が昂っていました。みなぎるやる気を感じます。

一体何が始まるんだろう。

おや、空を見てみると、、、

むむっ! 雲が縄のような形になってる! さっき見た時は初代新幹線の顔みたいな形してたのに(新幹線って。。。)!

これは貴布禰さんと白龍大神さんでしょうか??

貴布禰さん、いつも見守ってくださりありがとうございます。お姿現してくださり重ねて感謝です!

貴布禰さんは遍く尼崎を、くまなく見守ってくださっています。どこにどの人が必要とか、そういったことみたいです。

日本全体の安泰もご祈念されていると感じました。

白波稲荷神社

伏見のお稲荷さんの山を参拝して以来、そこでは柏手が響かず若干トラウマになっていましたが、参拝させて頂きました。

白波稲荷さんは貴布禰さんと異なる持ち場で、協力して尼崎をお守りしてくださっているそうです。

とても温かい神様でした。ありがとうございます。

白龍大神

こちらは比較的最近、松本グループさんから遷座されてきた神様です。

「皆を愛している」と伝わってきました。愛情と思いやり深い龍神様に感じました。感謝です。

参拝の時、石の階段が少し急勾配でした。

市庭蛭子神社

大正時代まで尼崎市の東部に御鎮座されていた蛭子神社です。

どうしてこちらにお引越しされなければならなかったのだろうと思いました。

ですが、現在尼崎市東本町には辰巳八幡神社と松島神社が御鎮座されています。

これは、こちらにお引越しされて正解だと思うことにします。

市井を温かく見守ってくださっていると感じました。

蛭子さま、ありがとうございます。

愛敬三社

お参りさせて頂いて、三人の妖精のような精霊のような神様が、愛を届けようとしてくださっている感じがしました。

見守ってくださりありがとうございます。

相殿社

愛敬三社の神様よりは、重いというか、庄下川(尼崎市中心部を流れる川)? のような感じがしました。もう少しよい表現があると良いのですが。。。

芯の強く太いお心で、温かく見守ってくださっていると感じました。ありがとうございます。

榎社

参拝させてくださりありがとうございます、と心の中でお祈り申しあげました。

とても軽い感じがしました。ご神体の榎が戦争で焼失してしまったからなのでしょうか。。。

本当に地域の皆さんから大切にされていて、心がジーンとしました。感謝です。

境内の様子

貴布禰神社社殿の周囲には、関西学院大学アメリカンフットボール部の優勝記念に植樹された枝垂桜が十数本あります。

どれもお願い事が成就しての植樹です。すごいです!

五十年後、百年後にはきっとすごい枝垂桜の森が出来上がっているのでしょう。

一大名所になる予感です。


狛犬です。

七福神めぐりのスタンプ台です。


こちらは御復興之碑です。

ざっくり申しますと、「貴布禰神社は由緒ある御神徳あらたかな神社ですが、大東亜戦争で焼失し、復興のため皆が結集し力を尽くしました。遷座二百五十周年、明治百年ということもあり、尽力された諸氏に感謝の意を表し、労を忍ぶためこの石碑を建てます。 昭和四十三年十二月」ということだそうです。

(出典:御復興之碑)



社務所です。左の楠が個人的にこんもりハートマークの形に生い茂っているように見えます。

境内のどこかには、ハートマークの石もあるそうですよ。


こちらは本殿の北側から。



手水舎です。


龍の頭の丸い部分をひねると口からお水が出てきます。

とても経済的です。こんなのがあるのですね。
カッコいい感じもします。



南門です


このような装飾になっています。


南側から正面を見ています。

境内の中からだと阪神高速の向こう側に工場の煙突が見えます。とても印象的です。


境内北側の、地車(だんじり)の車庫です。先日、小学生男子とその父親が、だんじりをのぞきにやって来ていました。
素敵な光景でした。


北側の門を出たところです。子どもたちが元気に走り回っています。子どもの後ろで母親が見守っていました。


北側の鳥居です。

貴布禰さんのだんじり

大きなだんじりが市内を走り回って乱舞します。毎年すごい迫力です。
少しですが2017年のだんじり祭りの様子です。






貴布禰神社へのアクセス


阪神電車の出屋敷駅が最も近い駅になります。

阪神尼崎駅からでも参拝できます。

出屋敷駅北側周辺

至梅田方面

こちらも至梅田方面

北口バスロータリーの風景。
貴布禰神社へはバスに乗りませんのであしからずです。


北から南の方向の写真です。
貴布禰神社へは、この信号をこの向きで左折してゆきます。


(1)のルート

先ほどの信号を左折するとみえる分岐点です。カメラは東を向いています。
ここから右の道へ入っていきます。

そのまま突き当たるまで直進です。



突き当りの角で左(北)に振り返りました。写真右に貴布禰神社の北側鳥居が見えます。

(2)のルート

(1)の分岐点で、左に入っていきます。

線路沿いをしばらく進むと右手に南東へ入る道があります。
その通りにはお風呂屋さんがあります。
この道を進みます。

すると、すぐに貴布禰神社北側に到着です。
(1)より少し遠いですが、鳥居をくぐりやすい印象です。

(3)のルート

これは阪神尼崎駅南口を西に向かって五合橋線へ出るルートです。
五合橋線へ出たら、南下します。
すると、開明町2という交差点に出ます。この写真は南を向いていますが、この向きで右折して進みます。

 そのまま道なりに直進します。

貴布禰神社の北側に到着します。

(4)のルート


これは、阪神尼崎駅を北口に出て、西へ向かって商店街を通るルートです。(写真は北口広場。)
あの有名なトラ商店街です。
しばらく商店街を進むと、尼崎中央通商店街と三和商店街との交差点に出ます。
その交差点を南下します(進んできた向きから左折する)。

 三和商店街を出ると阪神電車の高架が見え、高架の直ぐ先にコンビニエンスストアが見えます。そのままコンビニの先を右へ折れるように進みます。
すると、貴布禰神社北側に到着です。
徒歩では最も遠い距離ですが、商店街を通り抜けるので、お買い物や風景が楽しめるでしょう。

(5)と(6)のルート(車で参拝する場合)

国道43号線の「貴布祢」という交差点が目印です。必ず西から東へ侵入しないと入れないので、大阪方面からお越しの方は注意が必要です。
大阪方面を向いた貴布祢の交差点です。
この道路標識が目印です。歩道がありますのでご注意ください。
貴布禰神社南側に到着です。


まとめ

長文ここまでお付き合いくださりありがとうございます。
お疲れさまでした。
なるべく参拝しやすいように、どの道を通れば良いのか解りやすく心がけたつもりです。

写真からも貴布禰さんの雰囲気を感じ取れるかも知れないですが、
ぜひ実際にお越しになって貴布禰さんと対話されてみてください。
とてもフレンドリーに感じる神様です。

もしかすると、お友達になってくださるかも知れないです。


参考になれば幸いです。

今日も一日良い日が過ごせますように。




☆ここまで読んでくださりありがとうございます☆
☆あなたに光のご加護がありますように、ご祈念申しあげます☆